●我が世の春を謳歌 前号で「昭和38年まではヤクザは自民党政権を裏からサポートする補完勢力であり、見返りに賭博犯罪が事実上、目こぼしされていたからだ」「昭和38年12月を境に、それまでの環境は一変する」と書いた。本論に入る前に少し解説しておこう。
政府は昭和36年2月、閣議で「暴力犯罪防止対策要綱」を決定、警察庁も「暴力団犯罪視察内偵要項(暴力団の組織、友好敵対関係、資金源等を明らかにするための視察対象の選定と視察体制を規定)を作り、警視庁などに内偵専従班を設置したが、ヤクザの親分たちが我が世の春を謳歌していたことは間違いなかった。
警察側も手をこまねいていたわけではない。昭和37年3月、警察庁は、神戸・山口組(組長、田岡一雄)、神戸・本多会(会長は平田勝市)、大阪・柳川組(組長は柳川次郎。本名は梁元錫)、熱海・鶴政会(会長、稲川角二氏、後の錦政会)、東京・松葉会(会長は藤田卯一郎)の5団体を広域暴力団と指定し、25都道府県の県警に実態の把握を命じた。
私は「山口組は佐藤栄作系、本多会は大野伴睦系、柳川組は不明、鶴政会、松葉会は河野一郎系と分析していた。
37年7月の総裁公選で池田勇人氏が再選された。河野一郎氏は内閣改造で建設大臣として、東京オリンピックの担当相として入閣した。河野氏は稻川角二氏の後ろ盾と評判だった。鶴政会は組員3000人を超えていた。
●稲川氏の語った河野氏との関係 私が本誌3月3日号、「小泉元首相の祖父は稻川会組員だった」は事実無根、全くの作り話」の中で稲川角二氏に対し昭和39年、「私が大正14年暮の大乱闘、鶴見騒擾事件の松尾嘉右衛門氏の話を聞いた答だった。勿論、稻川氏も松尾氏を知っていた。松尾氏は稼業人から松尾工務店、花月園観光社長、多額納税者として又次郎氏と同じく貴族院議員にもなった。県の公共事業を巡って河野一郎氏と喧嘩したことは神奈川県では知らぬ人はいなかった。河野氏の後ろには稻川氏がいる、と評判が立った。それで私は稲川氏に松尾氏のことを聞いた訳だ。松尾氏は昭和40年に亡くなった」と書いた。稲川氏は「私が最初に会った政治家は河野先生であったが、後ろ盾になってもらったことも、後ろ盾になったこともない」と言っていた。
ホスト池田を巡り官僚派の佐藤と党人派の河野の水面下の睨み合いが肌で感じられるようになった。37.8年、神奈川県で河野氏に逆らえる存在は前出の松尾氏くらいしか、いなかった。
●昭和38年は大変な年 昭和38年は大変な年となった。
この年の出来事は政界の黒幕といわれた児玉與士夫氏抜きには語れない。児玉氏は1911年生まれ、田岡一雄より2歳、稲川氏より3歳年長であった。児玉氏は河野一郎、大野伴睦氏との交流は有名だった。昭和32年7月から34年5月まで検事総長を務めた花井忠氏と良好な関係にあったことは意外と知られていない。この頃は児玉氏や高瀬靑山氏といった黒幕が検事総長人事に介入したことも全く語られていない。私は官僚とは『政治情報に通じていなければ検察といえども頂点に立つことはできない』ことを痛感した。だから、東京地検特捜部が、小沢一郎氏の側近である3人の秘書、元秘書を逮捕したことが限界だった、鳩山内閣の下で小沢氏の立件までは無理があったと断言する。
それはともかく、田岡氏はヤクザでもあったが、甲陽運輸社長、芸能事務所・神戸芸能社社長という肩書きを持つ実業家でもあった。
2月、東声会・町井久之会長は、児玉誉士夫氏の肝いりで、三代目山口組・田岡一雄組長の舎弟となった。東声会は構成員1600人といわれていたが、勢力は強くなったが、その反動で警察のターゲットにされていた。
警察庁は3月、「広域暴力団の取り締まりに関する共助推進要綱」を作り、指定団体の取り締まりに乗り出した。
●錦政会と山口組は緊張状態に 同じ月、錦政会幹部、林一家総長、林喜一郎氏ら5人が横浜市中区山下町のサパークラブ「グランド・パレス」で飲んでいたという。そこに山口組井志組横浜支部長ら2人が来たとされる。
井志組幹部は挨拶代わりの酒を贈ったそうだ。林氏は拒否した。山口組の横浜進出を認めることになるからだ。それが稲川氏の意志であったからだ。
それで林氏らと井志組員と喧嘩になりかけたという。いわゆる「グランド・パレス」事件である。この事件で錦政会と山口組は緊張状態に入った。
林氏によれば「喧嘩は児玉先生の仲介で和解した」という。児玉氏と稲川氏は親交があった。稲川氏の児玉氏に対する友情はロッキード事件後も続いたと聞く。
しかし、田岡氏も児玉氏の仲介があっても、指を咥えることはなかった。
4月、田岡氏は、右翼活動家、三幸建設社長、田中清玄、麻薬審議会・菅原通済会長、参議院議員の市川房枝、作家の山岡荘八、評論家・劇作家の福田恆存氏らと、麻薬追放国土浄化同盟(後の全国国土浄化同盟)を結成し、横浜市で結成大会を開いた。麻薬追放国土浄化同盟の総本部は、山口組本部。さらに、幹部の益田芳夫氏を、麻薬追放国土浄化同盟横浜支部長として、横浜市に麻薬追放国土浄化同盟横浜支部事務所を開設させた。名目はともかく事実上の益田組事務所である。山口組と錦政会の緊張状態は継続した。私は田岡氏の人脈の広さに驚いた。と同時に「これがヤクザ」だと思った。それがなければ多くの子分を率いていくことはできないとも思った。
7月には、右翼の野村秋介氏らの河野一郎邸焼き討ち事件が起きる。
池田首相は10月23日衆院を解散、ムード解散、所得倍増解散、予告解散とも言われた。この選挙で河野一郎氏は建設大臣の権限を最大限に利用、自派から出た候補者を利した。河野氏に対する佐藤、福田派の反感は強くなった。それを感じとったのは佐藤栄作氏と福田赳夫氏だった。
しかし、選挙は勝てば官軍、落選しては木から落ちた猿以下の存在となる。河野氏は奢ったと私は思う。
ちなみに、私は児玉、花井、町井、林氏とも面識があった。(以下、次号)